母校に対する思いあれこれ
もう2~3年前になるでしょうか。小学生だった娘が中学受験を控えていた頃、15年近くごぶさたしていた生田の地を訪れました。私はその生田の山の中で寮生活もしてましたので、住んでいたところでもあったのです。でも中学棟には入ったことがなかったし、知っている先生もいませんでしたから、ただ見たことのある学校というかんじ。娘がいたので寮へも行かなかったため、その時は懐かしさというものは特に感じませんでした。
私は附属高校時代、充実した学生生活を送り、親友と巡り会えたとは思っていたものの、寮生活(左写真)の厳しさやクラブで自分の実力の限界を感じて、それなりにストレスを感じていました。また大学時代は、「こんな旧式な実験や形式的な授業ばかりで、とても理系の学部を出たとは言えない…」と思い上がった感想を持っていました。今思えば、先端技術にふれるには自分たちの実力が伴っていなかったからだと良くわかりますが、いかに自分が何も知らなかったか、ということですね。そんなこともあり、自分で選んだ道だから納得していたものの、娘を中学から受験させようという気は全く持ち合わせていなかったのです。
でも昨日は違いました。自分が朝から晩まで過ごした地で、後輩がこんなに頑張っている…。そんな様子を見れたのが、単純にうれしかったんです。大変だったけど今時珍しい体験をしたと思える寮の中を見て、思わず20年前と同じように「ただいま帰りました」と言いたくなるくらい懐かしかったし、迷路のような校舎の渡り廊下においてあるピアノで、朝早く皆が登校する前に練習したなとか、次々と思い出が頭を駆け巡っていました。20年近くたってやっと、いろんな思いを超えて母校の良さを実感したというか…。大学4年の教育実習で帰ってきた時も、お姉さんのように慕ってくれた生徒たちと、最後に皆で写真を撮ったことも思い出しました。右の写真は目白より移転してきた大学です。新入寮生歓迎会でおばけやしきとして使っていた古びた教員住宅は、今では小ぎれいな一角になっていました。
受付の子に「制服になったの?」と聞いた時に、いろいろ話をしてくれたのも印象良かったし、行きも帰りも中央線の人身事故で大変だったけれど、やっぱり行って良かったと思いました。学生時代はいろいろ悩みも多いけれど、それも長い人生の中から見れば一つの宝物。生き生きと学生生活を送っている後輩たちに素直にエールを送りたい、そう思った一日でした。
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