計画停電が平日も回避されるようになって、約一週間が経ちました。日常が戻ってきて思ったこと。それは、停電そのものよりも、停電実施アナウンスに伴う、仕事や日常の混乱、そして電気を使ってはいけないという強迫観念が、一番大変だったのかな…ということです。
私の会社は計画停電地域にあるため、自分は、停電予定のない土日に出勤し、代休を取るように指示されていました。その上、家事と仕事の両立で、時間と競争する生活をしていた私にとっては、決められた時間帯、それも3時間半(最高3時間とは言いますが、実際の拘束時間は4時間近いです)という空白の時間を作り出すのは、それは大変なことでした。うちの近辺は、「今日は実施します」という日は、必ず停電になったので、もう6回は経験したかな…。
被災者の方々から見たら、それくらい…と思うような事柄。でも、停電が実施されている時は、都心部の方の、ちょっとした言葉からもれる意識の差に悲しくなったり、「自分の生活が今正常に動いているのは、近隣の県が協力しているから…という意識はないのね。今は、被災者の方たちの惨状に目がいくから、しょうがないか…。」なんていう、ネガティブな被害妄想に陥っていたのです。
でもそれは、被災地から見た、首都圏の私たちそのものですよね。今、落ち着いてみると、そうわかります。どれだけ大変なのかは想像しかできないために、知らず知らずのうちに、当事者を傷つける言動を取っているのかもしれない。
そういえば、買占めに奔走する首都圏の人々を、見苦しいと言う人は多いですが、最初は否定の気持ちを持ったものの、今は確かにその通りと思っています。微量の汚染を気にして水集めに奔走している姿は、確かに見苦しいに違いない。自分の家族ばかりを気にして、水を本当に必要とする、乳児を持つ家庭や保育園に水が行き渡らなかったという事態を、実際に引き起こしてしまったのですから。
前に、「子供が転んだのに先生がCTを撮ってくれなかった」と訴えるお母さんがいましたが、きっとそういう人に限って、水集めに奔走しているのだろうな…と思っています。自分がどれだけ矛盾したことをしているのか、全然気づかずに…。
話がそれましたが、停電についてもう一つ。自分の家には電気が来ていても、どこかで停電が実施されていた時間帯は、精神的に重い負担となっていました。洗濯機を回したり、夕飯の支度をしながら、「これは、今どこかの地域で、寒い中停電しているところがあるから、うちに回ってきた電気なのだ。お年寄りが凍えているかもしれない。暗くて赤ちゃんが泣いているかもしれない。」と、どうしても思ってしまうので…。自分の地域が停電していない時間帯でも、何をするにも、すみません、という気分になるんですよね。これが、停電回避の日は、「節電しよう」という気持ちになるのみで、精神的にどうこう、ってことは全くないんですけれど。
そんな、いろいろな思いが交錯した結果、うちは太陽光発電を導入することに決めました。きっかけは、「夏場の停電は、午後2時から夕方がピーク」ということだったので、晴れた暑い日に停電になるなら、その時間帯は太陽光発電できるだろう、自立運転で冷蔵庫だけでも電気を確保できないかな?と思ったことがきっかけです。
でも、考えていくうちに、「電力の足りない時間帯に、自分が東電側へ電力を供給する方に回れるなら、夜の電力使用に、罪悪感を持たないで暮らせるんじゃないかな…。」とも思いました。今導入したいという気持ちの、ほぼ9割が、この意識なんですよね…。
1~2年後には、家庭用蓄電池も販売になるようですし、設置希望が集中する前に、見積もりを取っているところです。13年乗っている車の買い替え資金でしたが、また先送りかな。
原発に反対することは、誰だってできる。でも、反対と言うのみで、解決策を実行しないのなら、どこかの人と同じになってしまう。そういえば、国会で福島の原発について、「前に指摘したのに」と言った人がいるようですが、危険を知りつつ実際に行動しなかったのなら、それは同罪なのでは?と思いました。だから、微力でも何かしたいな、という気持ちもあります。
詳しい試算は、私は分からないので何とも言えませんが、皆でやれば大きな力(電力)になるのだとしたら、補助金Upなどの策を講じてほしいものだ…と思います。
◇太陽光発電の基本
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