30年前の教え子
昨日と今日は、妹のお姑さんの葬儀の手伝いをしていました。そのお姑さんは、腰が痛いと整形外科に通っていたものの、一向に治らず、今月初めに内科に連れて行ったところ、すい臓がんの末期であるとの診断が…。それから10日あまり。あまりに急な最期でした。
実はそのお姑さんに、私は学生時代にもお会いしたことがあります。義弟は、大学のサークルの同級生だったので、男女合わせて7~8人で遊びに行ったことがあるのです。(低俗な言い方をすれば、義弟は、同級生の妹に手を出したということ(^^; )それから25年以上経って、見送る立場になるとは思ってもいませんでした…。
本当に急なことだったので、気づいてあげられなかった無念さの伝わる式でしたけれども、終わって落ちついて考えると逆に、私はこのように、子供たちに世話にならずに、ぽっくり往きたいものだ…という思いも少しあります。私の仕事は、病気を早期発見するための機械の開発ですが、確かに「今」死んで困る人にとっては、早期発見で5年10年延命できれば、それだけで意味のあることかもしれないけれど、自分は、ある程度生きたら、抗がん剤で苦しい治療を続けたり、病気は治っても認知症で家族に負担をかけるより、自然のままに最期を迎えてもいいんじゃないか…という気もします。その時になったら、どう思うかは分かりませんけどね。
さて、前置きが本文のようになってしまいましたが、やっとタイトルの話。
数か月前、甥っ子が、うちの子供たちの通っている学校に入学することになったのですが、そこで名物のこわ~い体育の先生から、お父さんはどこの高校に行ってたか、と聞かれたそうなんです。甥っ子が「**高校です。」と答えたら、「もしかして、**くんではないかね!?」とのこと!なんとその名物先生は、義弟の部活の顧問の先生だったのです。
義弟は、私ら姉妹に会う少し前、浪人して大学に入学しているのですが、それはバスケ部でしごかれて、全く勉強しなかったから…。その時の先生が、今度は東京僻地の学校で、その子供にまた体育を教えることになったということです。親子が同じ学校に通う場合は、そういうこともあるのでしょうけどね。本当に、世の中狭いものです。それにしても、30年前の教え子をよく覚えているものですね!
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そうだったんですか・・・。すい臓はやっかいな臓器だと聞きますが、
腰痛だと思ってたらガンだったなんて、怖いですね。ご家族も覚悟を
する間もない、あっという間のことだったでしょうね。
学校の先生って、本当によく生徒の名前を覚えていますよねぇ。
義弟さん(って私が言うのもなんか変な感じ)の苗字はちょっと珍しい
から、その先生も特に記憶に残っていたのかもしれないですね。
私も、高校の家庭科のM山先生は、私の母が寮生だったときの先生
でしたし、教頭のA田先生は母の担任でしたが、所詮、同じ高校だから
十分ありえること。今回の甥っ子さんのケースは本当にレアですね!
投稿: れべっか | 2012年5月18日 (金) 02時05分
>れべっかさま
うん。妹も今月はとても大変だったようなので、来年は年賀状もないし、機会があったら、メールでもしてやってくださいな。
あら。お母様も同じ高校で寮生だったのね!知りませんでした。M山先生、懐かしいわ~
投稿: 雪穂 | 2012年5月18日 (金) 07時44分