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カテゴリー「栗本薫・中島梓」の118件の記事

2019年6月 2日 (日)

栗本薫と中島梓:世界最長の物語を書いた人

読みたくない…という気持ちがあったのに、読んでしまいました。

「栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人」里中高志

私にとって、中島梓さんは、高校生で栗本薫名義の著書を読んで以来、10年前に旅立たれるまで、私の人生に多大な影響を与えてきた方です。ただ…。長年崇拝していたのは事実なのですが、その反面、長い間中島さんの強烈な個性に呪縛されていたようなところがありました。

だから没後10年経って、その強い影響力から解放された今、私はこの本を読むのが怖かった。パンドラの箱を開けるような感覚もありましたし、見てはいけないものを知ってしまうのでは…という恐怖感もありました。事実、この本を読んだ後の二日間は、中島さんにまつわる思い出ばかりが頭の中をぐるぐるしていましたね…。

でも、読んでみて強く思ったのが、

「想像していたことを、事実として知ることができた。尋ねてはいけない…と思っていたことを聞けて安堵した。」

ということです。そしてそれ以上に、

「中島さん視点でお聞きしていた話を、客観的に聞くことができて良かった。」

と思いました。特にお母さまの記述について、そう強く感じたかな…。

ここに思いを吐き出さないといられないくらいに、一気に当時のことを思い出しましたが、今は、心から読んで良かった…と思います。今まで断片的に入ってきていた情報が、この本を読むことで全部つながったというか…。まとめてくださり感謝しています。


私がなぜそこまで読むことをためらっていたか…。それを語る前に、まずはあずささまとの関わりを簡単に。

高校生の頃:

*当時思いあがった学生だった私が、「どんなに今後努力しても、この人には敵わない」と初めて感じた方。だから著書のファンだっただけでなく、ご本人のファンにもなった。

子育て時代:

*赤ん坊の育児に明け暮れた頃に読んだ活字は、雑誌以外はグインサーガのみ。

*保育園と会社との往復だけが全世界だった頃、社会に通じる唯一の扉が天狼パティオだった。(インターネット以前の時代だったので)

*兼業主婦としての先輩でもある梓さんと、直接(文字で)話せる場は、私にとって唯一無二の大切な時間だった。

舞台鑑賞・オフ:

*初観劇は中島さんの舞台で、直接お会いしたのもそれが初。

*今の趣味はどれも、あずささま関連。

*トンボ玉は、ガラスがお好きな梓さんにプレゼントしてみたい、という動機で始めたもの。(実際に使って頂いていました)

*次巻のタイトル当てクイズは、公式の場で中島さんとやりとりができる大切な時間でした。だから、宝塚関連のヒントが分からないのが悔しくて、宝塚のビデオを観始めたんです。「宝塚も、私が引き込んでしまったのね」と直接言われたくらいに、今ドハマり中です。

*仕事になるくらいに上達した着付けですが、実は、中島さんと次におでかけする時は、自分で着て行きたい!と思って始めたものでした。やっと一人で着れるようになった時は、お別れの会となってしまいましたが…。


ざっと書いただけでも、自分の人生の中にはいつも中島さんの著書があり、ファンとして常に支えていきたいと思う気持ちがあり、そのことをご本人にも知っていただけているという自負がありました。執筆活動の中で、何度か自分のエピソードを思い出していただけるくらいには、面識があったということです。

天狼パティオがなくなり、mixi+blogという形態に移行してからも、とにかく中島さんが第一でした。ライブの感想、著書の感想をアップすることで、微力ながら応援しようと思っていたのです。

最後までマイミクとして交流はあったので、「みゆさんの作る食事は美味しそう!でも(抗がん剤治療中で)食べられないから、読むのがつらい」という話を聞けば、料理記事のアップを控えようかと思ってしまうくらい、影響力のある方でしたし、そもそもこの『武蔵野・菫館』のタイトルそのものが、中島さんからつけて頂いたあだ名が元となっています。


そんな私でしたので、中島さんの『伝記』を読んだ時にどう思うのか。自分でも分からなかった。

もしかしたら、自分の知らない世界で生きてきた中島さんの話だけかもしれない。

もしかしたら、大切な思い出が壊れるようなことを、知ってしまうかもしれない。

もしかしたら、尊敬の念が変わってしまうような事実を知ってしまうのかもしれない。

もしかしたら…。

私にとって大切な記憶だからこそ、もしかしたら…が怖くて、読むことに抵抗があったのです。

でも読み進めると、後半出てくる皆様のお話は「やはりそうだったのね…」ということばかり…。

私はファンの一人でしかありませんから、私生活について尋ねてはいけない…という暗黙の了解がありましたが、そんな、当時は絶対に触れてはいけないタブーだったことを、10年経ってやっと清算できたような…。そんな気分にもなる本だったのです。

まとめてくださいました里中さんには感謝です。

ありがとうございました。

2018年6月 1日 (金)

中島梓の音世界Ⅳ

5月20日のことになりますが、中島梓さんを偲ぶライブ「音世界」に今年も行ってきました。久しぶりかな…と思ったら、3年ぶりだそうです。公式HPはこちら。

音世界

中島さんは、私が高校生の頃からファンだった作家の栗本薫さんですが、演出家・作曲家でもあります。 その楽曲は、物語性を持った独特の世界感で、我々を一瞬にして当時にタイムスリップさせてくれました(;▽;) やはり原点はここなんだ!と再認識したライブでした。

当時の演者で、今でも変わらずお美しい歌姫と演奏家の方たちによるライブ…。そして、その時の仲間と再会は、同窓会のようで嬉しかったです♪

otosekai_2018

2016年12月 2日 (金)

『同窓会公演』に行った訳

demo_crasher2016_1勝手に副題を付けさせていただきましたが、先日私が観に行った演目は、「デモクラッシャー」という題名でした。でも、私にとっては、『中島梓さんが演出していた公演メンバーが集った公演』としか見えなくてね…。没後7年半が経ち、あれだけ影響を受けつつも、最近は既に遠い存在になっていた中島さんですが、このメンバーを見た途端、「何で行かないの~!?」と言われているような気がしてしまって…。公演期間が短いので難しいかな…と理性では思っていたのですが、都合つけて行ってこなくっちゃ!という、何かに突き動かされるような心持ちでした。

でもそれは、出演者の皆さまも同じ気持ちのようで、懐かしい同窓会のようだというコメントが相次いでいます。

葛城七穂さんのツィート(クリックで飛びます)

私にとって今回出演の石原、水木、花木、私、演出の中山は同窓会メンバー。かつての中島梓ミュージカルを観てらした方には是非御覧頂きたい。そんな想いが実はあるのです。』

花木さち子さんも、再開を楽しんでいるとコメントしていらっしゃいましたし、石原慎一さんも、『まるで中島梓が ヤレと言ったかのような座組み』と表現していらっしゃいました。花木さんの音世界プロフィールに、このメンバーが出ている公演名がいろいろ書いてありますが、本当に懐かしい演目ばかりです。この、18年前の中島梓演出・作曲の舞台がなければ、私は『観劇』に一生縁はなかったでしょうし、宝塚も知らずに過ごしたことでしょう。

参考までに、初観劇のことを書いた記事↓

ころころ史:其の2:退団されたジェンヌさんとの出会い

当時の観劇の感想は、まだブログを始める前のことですので、クローズドの掲示板に書いていたのですが、実は私、学生当時は、読書感想文が大嫌いでした。そのため、観劇しても全く感想を言葉にできなかったのですけれど、中島さんと直接お話したい一心で、少しずつでしたが感じたことをアップしていたのです。プロの文学賞受賞作家さんに、文章で感想を伝えるのは並大抵のことではなく、ほんの5行程度書くのに30分以上悩んで書いていましたね。でもその結果、今、このブログを書けるくらいに、「感情を言葉にする」、という訓練はできたのかな…と思います。

natsuki_imo

何でここで芋?だと思いますが(笑) これは友人が育てたお芋です。初日に行く!とつぶやいておいたら、当時お世話になった友人が、終演後にもってきてくれたのです。もう、もっちり感がすごいんです!ぱさぱさ系が苦手な息子が、これは美味しい♪とたくさん食べてくれました。すごいわ~。ありがとうございました。

2016年2月 7日 (日)

誕生日の夜に~中島梓トリビュートライブ Vol7

 今日は、こちらの追悼ライブに行ってきました。

誕生日の夜に~中島梓トリビュートライブ Vol7

 誕生日の夜に Vol1は、中島さんが亡くなる数か月前のお誕生日の頃に開催され、最後の作曲となった「誕生日の夜に」という歌が、水上さんによって披露されました。「誕生日」というものにトラウマを持っていらした中島さんは、死の間際になってその思いを乗り超え、来年もまた会えますように、という歌詞を残しています。その願いは叶わなかったけれど、こうやって歌い継ぐ人がいることは、きっと嬉しく思っているでしょうね。

 今日は、中島さんのジャズピアノの先生が、客観的にお話されているのが、とっても興味深かったかな…。理論を知らずに、湧いてくるメロディー。天才だけれど、それが奔放過ぎていたこと。手術と入院した後に、ピアノの音色が変わったこと、などなど。

 水上さんの表現力豊かな、かつ芝居心のある歌唱。このジャズピアノの先生の「訃報を聞いた後に降りてきたメロディー」というTender Road to Heaven。今までは、これらの曲を聴くと、その当時にいきなりタイムスリップしてしまっていたのですが、今回は私も、曲を楽しむことができたかな?と思います(*^^)v

nakajima_obi4.jpg 今日は、この帯を締めたかったので、木綿の普段着 着物をチョイス。帯の真正面の、色の薄い部分を横に外したつもりだったのに、締めているうちにど真ん中になってしまった…。でも、このカジュアル着物はたしか、そのトリビュートライブのひとつ前の、晴れ着ライブに着て行ったような気がします。当時はネットや本で読んだだけの着付けだったので、なかなか上手く着れなくて、がんばって着ていた頃ですね(^^; 今日はそれにしても、女性のきもの率の高さにはびっくりでした!

 そうそう。鈴蘭のとんぼ玉を受注したので、増産計画があります。もしお入り用の方はメッセージくださいね。

2016年1月11日 (月)

成人式と昔の新年会の関係

 成人式、終わりました。 朝2時45分起床、3時半に家を出て、12時まで怒涛のお着付け。15時半にもう一件あったので、ガストなどで時間をつぶしてから、余裕を持ってもう一件。片づけして家に着いたら17時半でした。夜になって気づいたのですが、顔中に塩をまぶしたようになってました。力仕事で、汗だくだったようです。

 今日は、自費でガーゼを買って、細い紐のお嬢さんにはサービスで付けてあげてました。先生からは、そこまで持ち出しすることはないと言われたのですが、下記のような経験があるので、少しでも楽に過ごしてほしいと思ってね…。この下の文章は、昨日FBにアップしたものです。


 Facebookが「12年前の今日」と知らせてくれたのが、この着物の写真。そうだ…これが、今の私の着付け師としての原点だったのだ…と思ったのでアップしました。 実はこの写真の会については、中島梓さん著の着物中毒という本の中で、こんな風に書かれています。

 「美容院で着付けてもらって、訪問着着てきた可愛い若奥さんがいたんだけれど、ひも、きつくしめすぎて、途中で半失神みたいになって気持ち悪くなっちゃった。(中略)ずーっと一日、短くても半日は着たまま動き回ったり食事したりトイレにいったりするわけなんですから、見かけだけ綺麗でも、ちょっとでも辛かったりしんどかったりしたら仕方がない。それはもうものの役にはたたないってことになります。」

 この時に着たのは、自分の結婚式の2次会で着た訪問着…。会社の裏の団地内で着付けをしてもらえると聞いて着せてもらったのですが、パーティならお太鼓じゃ寂しいわね、と、少し変わり結びをしてくれたのです。その枕の紐が胸に食い込んで、食事中に気持ち悪くなって、結局戻してしまいました。自分では何をどうしたらいいのか全く分からず、自分で着物を着てきた方が介抱してくれて、この紐をゆるめたら大丈夫よ、と紐を締め直してくれて復帰できたんですよね…。 この経験があるから、「次回は、自分で苦しくないように着て、おでかけしたい!」と強く思い、着付け教室に通うことにしたのです。そして、前回書いたように、今自分が着つけする立場になって、一番気にかかるのがこの胸を圧迫する紐。明日も、出来る限り華やかに、でも苦しくないことを第一に、お着付けしてこようと思います(^_-)


  結果は…。今日の仕上がりが、全員100%だったかと言ったら、それはノー。初めての着物、初めての体形にお着付けするわけで、トルソーに着せるのとはわけが違います。それを一回で、時間内に、いかに100%に近づけるかが、着付け師の腕の見せ所です。 おそらく、20年後に同じことを聞かれても、ノーと答えるでしょうね。今とはもっと違うレベルで、もう少しこうしたら素敵だったのでは?と思い続けると思います。

 でも実のところ、着付け師として気になるところがあったとしても、初めて着物を着るお嬢さんたちは、全然気づかないことばかり。帯をもうちょっと小さ目にして、羽をもう一枚増やせたかな…とか、後ろのおはしょりがピンとしてない…補正タオルをもう一枚入れれば良かったかな…とか、いろいろ細かいことは思うのですが、そんなことよりお嬢さんたちは、もっと別のところ…例えば前姿の帯締めの結び方や帯揚げの形の方に、目がいきます。 お嬢様たちに満足していただくことが第一なので、帯揚げや帯締めを、すっきりさせるか華やかにするかを選んでもらったり、「とっても素敵なお着物ね。自分で選んだのかしら?」などと、お客様の着物の良いところをお話しながら、お着付けしていきます。

 ただ実は今年も、一番最初のお客様が、着付けを始める時間に起床…という状態で、かなり遅刻していらしたんですよね…。結局、二人分の時間の中で三人着付けすることになり、着付け師として最善と思う着付けで、てきぱきと時間内に終わらせる、という状態でした。本当なら、先ほどのように、お客様の好みをお聞きして、話し合いながらお着付けしたかったのですが…。去年もでしたが、遅刻は他のお客様に迷惑がかかるので、頑張って時間通りに来て欲しいなぁ~と思っています。

 普段は、美容院へ行っても写真を撮ることはないのですが、今日はお写真撮らせてもらう機会もありました。写真を見ると、お母様のお着物(古典的な柄)から、モダンなお着物、自分の個性を前面にアピールしている振袖もあります。右のお着物、ベルベットの作り帯でしたし、準備の時点では少し心配だったのですが、最後にベルベットのショールを羽織った可愛いお嬢さんを見たら、粋な感じに仕上がっていて、とっても可愛かったです♪ 来年、また一段成長してお着付けできるよう、頑張ります。

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2015年7月11日 (土)

グイン亭最終日

 昨日は、前にこちらでご紹介したグイン亭の最終日でした。たまたまだんなが出張でいなかったため、どなたか一緒に行ってくれる方いませんか?とお声かけしたところ、何人かの方が一緒に行ってくださることになりました(^_-)-☆ こちらは、詳細なニュース記事です。

あのカラム水や肉まんじゅうが現実に!( ITmedia eBook USER )

 自分が行った日の記事。この日は、トリビアクイズに挑戦したのですが、85点は今までトライした人たちの中では同率4位なんだとか。アレナ通りの煙とパイプ亭の番地を間違えたので、基本問題を間違えた…と落ち込んでいたのですけれど、結構良かったので嬉しかったわ。

グイン亭 (6月初めに行った時の日記)

  今まで、今岡様の一日店長や、トークショーなどのイベントの日は行けなかったのですが、友人のご厚意で、2セット持っているから…と、その日の記念品を頂いてしまいました。一番嬉しかったのがこの、千社札かな…。このブログで使っている「雪穂」という名前は、もともと中島さんの小唄の名取名が「長生雪帆」だったこともあって、「音」だけ同じにさせて頂いたハンドルネームなんです。

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 前回、車で駅まで出たため、お酒が飲めなかったので、今回は「カラム酒(カラム水+火酒)」と「ヘレヘレ(イモリ酒)」。こちらに説明がありますね。このサイトすごいわ…。忘れているものも多い。壺煮のシチューはもう売り切れだったのですが、友人が予約しておいたので、味見をさせて頂けました!嬉しかったな。ジャナのおもてなし丼は、全く記憶になかったのですけれど、キタイの夢魔の四つの扉に出てきたのね。これは、美味しかった。

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 詳しいやりとりは覚えてないのですが、店員さんとの会話。

 「ヘレヘレって何ですか?」

 「イモリを漬け込んだ、ノスフェラスのお酒です。」

 「何ベース?」

 「イモリです。」

 何か、笑ってしまいました。最後は、お店の壁面いっぱいに貼られていた、100枚以上ある表紙を持って帰っていい…とのこと。わぁ~と壁面に群がり、好きな表紙のポスターをもらって帰ってきました。私は、この2枚(+最後にもう一つ)を頂いて帰りました。 高校時代の憧れのナリス様第8巻と、一番素敵と思っていたリンダの肖像画です。ラッキー^_^☆

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 偶然会った友人や、一日店長を務めた今岡さまや、歌手の水上さんともお話できて、楽しく過ごすことができました♪ 

2015年6月 5日 (金)

グイン亭

 現在、神田の早川書房の1階に、グインサーガの世界にちなんだ料理を提供してくれる居酒屋(カフェ)があります。

◇ グイン亭 (早川書房のHPへのリンク)

 直筆原稿やグッズも展示してあると聞いて、行ってみたいな…と思ったのですが、平日の夜しか営業していないんですよね…。(土曜日はパンケーキのみ)

 ちょっと無理かな…と思っていたのですが、偶然半休を取って有楽町へ(笑)行くことになったため、その帰りに寄ってみることにしました。大学時代のお友達が2人、直前の呼びかけにも関わらず一緒に行ってくれたのです。

 カラム水は、カシスシロップの薄~いのを想像していたのですが、アセロラだったかな。饅頭は、手作り感満載のしっかりした生地に、異国風な香辛料の肉。もっと肉汁が垂れる位でも良かったかもね!

 アニメや漫画と違って、文章は、各個人の受け取り方の違いが出るものですから、皆が納得する料理の再現は難しいですけれど、「校正」の入ったお料理だそうですので、きっとこの雰囲気なのでしょうね (^^)v 

 トリビアクイズは、全然出来ないだろうと思っていたら、85点で結構当たってびっくり。しばしグインの世界に浸って過ごすことができて、楽しかったです♪

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2015年6月 1日 (月)

アルカポネ・音世界

 昨日は、半世紀の人生を振り返ってもなかなかないくらい、とっても濃い、充実した一日でございました。朝6時に起きて(これは普通)家事をこなしてから、きものを着て赤坂アクトシアターへ。その日の演目はアルカポネ。それも最前列センターブロック!私などがこんな超良席に座らせていただくなんて、おそれ多いわ…と、少々アウェイ感を感じつつも、小劇場並みの近さでお芝居を拝見することができました。 強運で抽選を当てた友人に大感謝です。

 もうね…。宝塚じゃなかった。ギャングの世界。捕まって終わるストーリー。それなのに、それぞれのやるせない気持ちがビンビン伝わってくるお芝居。だいもんさんやハッチさんは普通に男にしか見えなかったし、怖いくらいの凄味と、それとは反対の温かさが感じられ、緩急自在な歌唱も含めて、素晴らしかったです。

 短いショーもまた素敵で、最前列の特権で下級生ジェンヌさんたちの視線も沢山いただくことができ、至福の時を過ごさせていただきました♪


 そして次は、四谷3丁目のウナカンツォーネへ。このブログの副題にもなっている中島梓さんを偲ぶ、7回忌記念ライブでした。

 高校時代からファンのグインサーガは青春の思い出ですし、育児と兼業主婦の忙しさの中でも唯一読み続けた本です。作家さんご本人と面識を持つようになってからは、ミュージカルやライブにも通いましたので、この記念ライブを聞いていると、そのまま自分の過去へタイムスリップする感覚になるんですよね…。

 今回は、少し趣向を変えて朗読があったのですが、それが素晴らしくて…。梓ワールドの曲をバックに、今まで知らなかったお話を聞いていたら、本当に引き込まれました。やはり私は、『栗本薫の世界』に引きつけられるのだな…と思いました。懐かしい仲間とも再会できて良かったです♪

kimono_2015_0531.jpg そうそう、やはり今回も着物率の高い会でした。ご存命の頃は、私はまだ着物を一人で着られなかったので、私は和装新参者なんですが、いまおかさまも、着物常連さんたちも、皆お着物。

 私はこの日、夜にホテルの大宴会場へ行くので、単衣の洗える色無地に、祖母の黒地の帯にしました。「カリスタの海」にちなんで、初夏っぽい色合いの、薄い水色の単色の着物に、追悼ライブなのでちょっと黒っぽいものも入れてみた感じです。でも、黒と言っても、キンキラな帯なんですけどね。そして半襟は中島さん由来のものに。いろいろと、「本日のイベント」を意識したコーデにしました。



 そして夜は、芝公園のホテル宴会場へ。こちらは自分が申込みをした会だったのですが、何とこれもセンターブロック。7列目だったけれど、オペラなしでしっかり表情の見えるお席で、もう感動…。司会が白華れみさんだったので、同期の親しさが垣間見えるような、とっても和やかな会でした。レポはしませんが、とりあえず今日は、睡眠を記録するアプリをダウンロードしてみました(笑) 今晩、使ってみたいと思います(^_-)-☆

mirio-tea-party-calista.jpg

 とてもとても充実した一日でしたが、前日の夜更かしで睡眠時間が5時間でしたし、気温も夏並みに30度を超えていたので、 単衣なのに汗の止まらない状態…。水分だけは…と補給はしましたが、まともな食事をしていなかったので、最後はもう疲労困憊。駅から運転出来るかな…と思ったくらいでしたので、タカラヅカファンタジアの太鼓の曲をガンガンかけて、寝ないように帰りました。無謀とも言える日程でしたが、無事滞りなく楽しめて、本当に良かったです♪

2015年2月21日 (土)

中島梓トリビュートライブ

 今日はこちらのライブに行ってまいりました。

◇ 誕生日の夜に 中島梓トリビュートライブ

 モーニングライトを、やっと泣かないで聴けるようになったと思っていましたが、中島さん作詞のROSEで、皆さん号泣モードに…。この歌詞は反則ですね。でも、泣かせるのが大好きだったお方ですから(笑)、やったやったと喜んでいらっしゃるんだろうな…と思いました(*^^)v 毎年このようなライブを開いてくださる水上さんにも感謝です。

 今日のきものはこちら(Facebookの方には、出演者の皆さんのお写真も載せています)。伊達衿は、辛子色とか、朱色がいいと思うのですが、手持ちのもので済ませてしまいました。

 azusa_2015_02_21_2.jpg

 ブログを読んでいらっしゃる方はご存じと思うのですが、少々補足すると、中島梓さんは、高校生の頃から大ファンの作家(栗本薫)さんです。私が、保育園二つと会社と自宅を分刻みで往復していた頃から、Nifty通信でお話させていただくようになったのですが、当時はインターネットもなかったので、そのパティオという場所が「私の知る唯一の外界」でした。

 中島さんは、兼業主婦としても自分の10年先を行く先輩でしたし、いろいろな人生相談にも乗ってもらいましたので、その影響力は絶大で…。結局は、タカラヅカも、着物も、とんぼ玉(ガラス細工)も、中島さんのお好きだった世界なんですよね…。

 またその通信は、ダイバーシティを叩き込まれた時間でもありました。世には、自分の常識からは想像のつかない様々な考えを持った人がいることを学び、その個々の意思を尊重する風土の中で、様々な新しい出会いがありました。今でもネット上の友人の半分は、この時に出会った方々です。もうかれこれ、20年近い付き合いになりますが、今日も、「え…。***さんなんですか!?初めまして。」と言いつつ、昔からの友人のようにおしゃべりしたり…。このような縁を残してくださったことにも感謝です。

 7回忌の5月には、また盛大なライブがあるとのこと。楽しみにしています♪ ⇒ http://elfleet.com/otosekai/

2014年5月18日 (日)

中島梓の音世界II -Old Diary-

Old_Diary.jpg 今日はこちらの追悼ライブに行ってまいりました。追悼…というよりは、残された音楽を伝えてゆこうという趣旨で、毎年開催されるようになった企画です。公式ホームページは、このチラシをクリックしてね。

 出演者は、歌姫の花木さち子さん、フルート&チェロの美女二人、そしてピアノの高島さん。音大出のクラシックがベースの方たちですので、もう聞いていて安心感絶大です。心地よく、その世界にひたってまいりました。

 去年自分の書いた日記の中に、この出演者の方がどんな方かは書いてありますので、リンクを張っておきますね。

中島梓の音世界I

 一周忌の梓薫忌の頃は、もういらっしゃらないのだ…という気持ちになったものですが、今日は着物もピンク色で明るいものでしたし、当時の仲間たちに久しぶりに会って、一緒に音楽を楽しんだ会だったと思います。

 大正浪漫、クラシックに作詞したもの、グインサーガに関わる音楽、ミュージカル用に作詞作曲したものなど、テーマごとに選曲されていたのが良かった!そうそう~こんなものも作っていらしたわね~という気持ちで、とても懐かしかったです。もともとが小説家ですから、良く聞くと歌詞が怖かったり、一つの物語として完結している曲も多くて、本当に引き込まれました。

 でも、Roseの歌詞は、もう反則!って感じで、皆で涙腺決壊でした…。最後のMorning Light、Dream againは、お約束。日常の中で遠くなっていた、お別れの会での花木さんの歌声や、パティオのオフ会で皆で合唱した時の光景が、一気に目の前によみがえってきました。でも、”もうあの日が来ないのが悲しい”という気持ちよりも、そこで巡りあえたひとたちと、今こうして一年に一回、一緒に懐かしむのが楽しかったかな…と思います。

 中島さんからは沢山の影響を受けてきたけれど、「時代」が深く関わっていたのだな…と、最近しみじみ思います。私が子育てしていた頃は、携帯もない時代でしたから、インターネットの「はしり」とも言える”通信”が、唯一開かれた社会でした。そこで、ファンだった栗本薫先生とお話することができ、様々な職業、様々な感性を持つ方と知り合ったことで、成長させてもらったのだな…と思っています。

oto-sekai2014.jpg 着物も、とんぼ玉も、料理も、宝塚も、すべてはこのつながりの中から挑戦したもの。今日の音楽は、この自分史につながる思い出を、完璧によみがえらせることのできるメロディーなんです。命日に、こうやって皆と思い出を分かち合えることに感謝。この企画が、末永く続きますように…。

 最後に、出演の美女3人。皆さん上手いだけでなく、スタイルも抜群です!(掲載の許可はいただいています(*^^)v) 

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